名鉄名古屋駅の新聞輸送風景



列車で夕刊を運ぶ!? 地下で繰り広げられる攻防

 名鉄尾西線の奥町駅などを訪問した後、新一宮駅から知多半田行きの普通列車に乗り、午後の2時頃、新名古屋駅に戻ってきた。2面2線の相対式プラットホームの配線の真ん中にも島式プラットホームがある3面2線の変った配線で、真ん中の島式ホームは特急用乗降用・全列車の降車専用ホームとして使われている。

 真ん中の島式プラットホームに降り、乗客が下車したのと入れ違いに、外に立っていた人達が、いきなりダッシュするように動き出した。呆気に取られ、思わずその動きを見守る。

 その人達は、ビニールに包まれた新聞の束を、車内の扉横のスペースに、何かに追われているかの如く、凄まじい早さと勢いで、どんどん積み上げていく。降車ホーム側の扉が閉まりそうになると、その人達の1人が、扉を強引に押さえ、閉まるのを防ぐ。少し離れた扉で、同じ作業していた男性は、タイミング悪く扉に挟まれ、抜け出そうとしている所を、同僚に助け出されていた。

新名古屋駅で列車に新聞を積み込み名鉄沿線に輸送

 この作業の側に、駅員さんが立ち、作業の安全を見守る。新聞の積み込みが遅れても、列車が発車しないよう、車掌さんに合図するためだろう。反対側の乗車ホーム側の扉は既に開き、乗客が乗り始めている。名鉄最大の乗降客数を誇り各方面からの列車が集中する新名古屋駅だが、両方向に1線ずつの真ん中に。降車用と特急用の島式ホームを挟む最小の配線だ。そんな新名古屋駅の停車時間に余裕は無く、列車の出発が刻一刻と近付く。しかし、台車の上には、まだまだ新聞の束が残る…。みんなもう必死である。

 だが、その甲斐があって、列車は遅れる事無く出発できた。その時間、列車が停車している1分に満たない僅か数十秒だった

 息をつく暇も無く、次の列車がやってきて、また新聞の積み込み作業が少し離れた場所で…、或いは反対の新岐阜・犬山方面行きホームで繰り返される。私が降り立った時みたいに、大量の新聞を必死に積み込んでいる時もあれば、ほんの数束で済んでいる時もある。

 このように、夕刊を名鉄沿線の各地に配送しているのだ。新名古屋駅では日常の光景なのだろうが、日常的に、新名古屋駅を利用しない私は、初めてこの光景に出くわし、かなり驚かされた。

次々と旅立ってゆく新聞たち

名鉄名古屋駅の新聞輸送、列車への積込みを待つ新聞の台車の列

 ホーム豊橋寄りの端の方は新聞の集積場と化し、新聞が山積みになった台車が行列を作っていた。その奥では、天井からプラットホームへとローラのついた滑り台のようなもが設置されていて、地上から次から次へと新聞が降ろされている。

名鉄名古屋駅の新聞輸送、係員に運ばれる新聞

 そして何人もの係員さんが忙しそうに台車を転がし、新聞を運んでいた。そんな作業が延々と繰り返されている。ホームのあちらこちらに積み込み待ちの台車が置かれていた。

名鉄名古屋駅ホームの新聞輸送、新聞が山積みの台車

 新聞の山が消えたと思ったら、また次の台車がやってきては新聞が運び込まれていた。新聞は、中日、朝日、毎日、日本経済、ゲンダイ、中京スポーツなど各社に及び、台車には新聞社のロゴが入っている。

 束毎に配送先の駅名が書かれた紙が入れられ、一つ一つ見ると、行き先の多様さに驚かされる。豊橋、新岐阜など、名鉄を代表する主要駅をはじめ、高浜港駅(三河線)、本宿(名古屋本線)、榎戸(常滑線)、萩原(尾西線)、石仏(犬山線)、近ノ島(揖斐線)、知多半田(河和線)など各路線、大小様々な規模の駅に及ぶ。中には鉄道の更に先、名鉄バスのバス停に行く束まである。

名鉄名古屋駅、三河線行きの新聞の束
(この束は高浜港駅、碧南中央駅など三河線へ…)
名鉄名古屋駅の新聞輸送、名古屋本線の駅への束
(こちらは一宮、新木曽川駅など名古屋本線北の方へ…)
名鉄名古屋駅の新聞発送作業、新岐阜駅、岐阜市内線行きの新聞の束
(こちらは新岐阜駅、更に岐阜市内線に積み替え揖斐線の近ノ島駅へ…)

 2年前の2001年6月、廃線前の揖斐線・黒野発本揖斐行きの列車に乗車した時、「本揖斐」と書かれた紙が入った新聞の束が、列車後尾の運転席後ろに置かれていたのは不思議とよく覚えている。そして、本揖斐駅に着くと、カブでホームに乗り着けていた新聞屋の人が、その束を取り出し荷台に積むと、駅から去っていった。この新聞達も、あのような作業を経て、はるばる新名古屋駅から、新岐阜駅、黒野駅と2回も“乗り換え”し、まるで旅するように本揖斐駅まで来たのだなと思うと、よくここまで来たものだと改めて感慨に似たようなものを感じる。

 旅客列車を利用し、荷物が輸送されている場面を、これまでにも見た事があるが、ここまで大々的にやっているのを目撃したのは初めてだ。この新名古屋駅に新聞輸送は、鉄道の利点を生かした方法なのかもしれないと思った。新聞社が、小口の新聞を、各地に散らばった販売店に一々運ぶより、きめ細かく配置された駅を利用し、列車で販売店の最寄駅まで運んだ方が、コストが下げられ効率的なのかもしれない。車社会が顕著で時に渋滞が発生も発生するこの地域において鉄道の方が定時性に優れているのも利点だ。名鉄にとって、この時間帯は、比較的空いてる時間帯で、無理なく輸送でき、ちょっとした収入になるのかもしれない。また、トラックを走らせず、旅客列車についでに載せて運ぶ事は、ちょっとの事だが、環境保護という視点から見みてもいい方法だ。

 作業員の方とすれ違うと、かすかに汗の匂いがした。いくら冷房が効いている地下駅とは言え、時間と闘いながら、決して軽くは無い新聞の束を次々と積みこむ作業は重労働だ。それに名鉄最大の駅で乗降客も多く、かなり気を使う作業なのだろう。このような作業をこなしながら、私達の下に、新聞を届ける役割の一端を担う、彼等の作業の安全を願わずにはいられない。

[2003年(平成15年) 8月訪問] (愛知県名古屋市)

※訪問当時の駅名は新名古屋だったが、2005年1月29日より「名鉄名古屋駅」へと駅名が変更された。

懐かしの名鉄廃線、新聞の終着駅

 文中でも触れた今は無き揖斐線の新聞輸送風景。2001年6月。

名鉄揖斐線・本揖斐行きモ750に積み込まれた新聞

 本揖斐行きモ750に積み込まれた新聞。新名古屋駅でのあの作業を経て、新岐阜駅、黒野駅で積み替えられ、終点の本揖斐駅へまだ新聞の旅は続く。

名鉄揖斐線・本揖斐駅に停車するモ750と新聞配達員

 そして本揖斐駅に到着すると、ホームまでカブで乗りつけていた新聞屋の人が、新聞の束を受け取ると駅から立ち去っていった。あと一、二時間もすると、各家庭に配達されているのだろう。

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