![]() ちょうど列車が通過している所が、 本山駅(本山前駅)のホーム跡。 |
鶴見線の前身、鶴見臨港鉄道は、京浜工業地帯の貨物輸送を目的に、実業家・浅野総一郎が中心になり設立された。浅野総一郎は、明治、大正、昭和初期に、鶴見・川崎地区の港湾埋め立て事業を推進し、また、セメントなどの事業も手掛け、一代で浅野財閥を築きあげた実業家だ。 鶴見臨港鉄道は、1926(大正15)年、まず、弁天橋−浜川崎と、大川−白石間が開通し、旅客輸送は、全線が開通した1930(昭和5)年に開始された。その時、駅の1つとして、今の鶴見駅−国道駅間に本山前(ほんざんまえ)駅が設置された。”本山”という名称は、付近にある曹洞宗大本山・総持寺から来ている。総持寺に近い事はもちろん、付近には、かつて、レジャーランドもあり、駅は大変賑わったという。その後、本山前から本山へと名称を変えたが、戦時中の1942年に12月12日に駅は廃止された。 その翌年に、鶴見臨港鉄道の路線は国有化された。だが、鶴見臨港鉄道という会社は、路線国有化以降、現在も存続し、同社が関連した不動産の管理を業務としている。同社の親会社は、浅野総一郎の港湾埋め立て事業を起源とする東亜建設工業だ。 廃線跡本の定番、「鉄道廃線跡を歩く」の3によると、まだ廃駅跡が残っているとの事で、興味をそそられ、東北旅行のついでに立ち寄ろうと考えた(出版から6年の月日が流れ、まだ遺構があるか気になってはいたが…) 鶴見駅から、店舗が連なる高架下を、5分程歩くと、高架をアンダークロスする道路があった。その道路を左に曲がり、鶴見線の高架下を潜ると、東海道本線、京浜東北線などの約十線ものレールが並んで敷かれて、まるで大河を目の前にしたかのような気分になる。踏切を渡り横断できるが、ひっきりなしに列車が行き交い、まともに踏切が開くのを待っていたのでは、なかなか反対側には行けないだろう。 その横に、それらのレールを跨ぐ歩道橋がある。階段を上り切って、横浜方に振り返ると、鶴見線の高架上に、島式ホームを確認できる。これが本山駅跡だ。遠くて細かい所は確認できないが、はっきりホームの跡と解る遺構が残り、ホームから下りるための階段の跡も認識できる。廃駅から半世紀以上経つのに、よく残っているものだ。 歩道橋を下りて、駅跡の下辺りを見てみた。駅跡の高架下は、川崎鶴見臨港バスの車庫となっていて、一目で駅だと思わせるようなものは無い。だが、高架下のちょうどホーム跡がありそうな位置が窪んでいて、天井が高くなっているような部分がある。この部分の所々に隙間があり、よく見ると、そこからレンガか何かのブロックを積んである様子が、かすかに覗ける。この窪みと、ブロックでホームを形作っていたのだろう。 そして、バス車庫の鶴見方の端では、コンクリートが傾斜して、そこだけ天井が低くなっていく部分がある。この傾斜は、前述の窪みと、バス車庫の事務所とを結んでいるかのような構造だ。事務所はかつての駅舎跡なのだろうか…。だとすれば、この傾斜は、ホームと駅舎を結んでいた階段なのだろう。そう言えば、先程の鶴見線をアンダークロスする道路の高架下の壁は、大きな半円形を塞いだような壁だった。もしかしたら、この大きな半円形が本山駅の出入り口だったのかもと推測した。これが駅の出入口だったという前提でだが、この造形は、かつてお隣だった、高架駅の国道駅に似たものがあると感じる。国道駅はレトロなムードを残した駅舎として有名だが、本山駅も現存していたら、国道駅程でなくても、ユニークな古い駅舎として有名になっていたかもしれない。 鶴見線の何駅かを巡った後、列車に乗り込み、鶴見−国道間を2往復して、本山駅跡を車内から観察した。傷みは進んでいるが、はっきりと駅の跡と解る程、ホームの原形を留めている。あらゆる物が撤去されただろうホーム上に、赤い箱のようなものが、階段から上がった所にぽつんと置かれ、何なのか気になった。階段の近くにあんな物が置されていたら、乗降の邪魔になるだろう。これは廃駅後に設置された物かもしれない。 [2003年8月訪問](横浜市鶴見区) |
![]() 駅跡の高架下はバス車庫のになっている。 |
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![]() 高架下には階段跡と思われる遺構も残る。 |
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![]() 列車の中から本山駅(本山前駅)跡を撮影。 |
| Station Photographs-駅と駅舎の写真館- (C)solano. |