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鐘紡前駅跡(和田岬線)


和田岬線・鐘紡前駅跡

鐘紡前駅の廃駅跡。ホームの残骸が未だに残る。
レール右横に側線用と思われる空間があった。
 2001年4月、和田岬線のキハ35に乗り、運転室後ろから前面展望していると、突如としてホームが現れたのに驚いた。和田岬線に中間駅は無く、もう営業されていない駅という事だけは解かった。家に帰って調べると、そのホーム跡はかつての中間駅、鐘紡前駅だという事を知った。

 鐘紡前駅は1912(明治45)年に開業し、名前から察せられるように、鐘紡の兵庫工場の最寄駅として設けられ、工場の従業員で賑わったという。だが第2次大戦中の空襲により、鐘紡兵庫工場は操業不能、廃止という道を辿った。鐘紡前駅も、その後に休止となったらしい。そして、1962(昭和37)年3月1日に正式に廃止された。

 初めて鐘紡前駅を目にしてから1年と数ヶ月、再び和田岬線の兵庫駅に立った。電化され、車両はあの頃とは違い、今は103系となっている。
 和田岬駅に着くと、バラストの上に、灰色のような液体が付着しているのが目に入った。これは、この近くの「神戸ウイングスタジアム」が2002年のサッカーワールドカップの試合会場の1つで、フーリガンが、バラストを投げ暴れるのを防ぐため、バラストを特殊な液体で塗り固めたものだ。そう言えば、前回和田岬線を訪問した時に、ウイングスタジアムを車内から見ながら、ホーム跡がしっかり残る鐘紡前駅跡をワールドカップ会場の最寄駅にできないだろうかと想像していた。もちろん1ファンの想像が実現される筈もない。それどころか、大量の観客をさばけず混乱するという恐れから、試合当日夕方の列車の多くは運休となった。また、懸念されたフーリガンの暴動は幸いにも発生しなかった。
 レール沿いに引き返すように歩き、十数分で鐘紡前駅跡に到着した。あの頃は一目でホームと解かるものがあったのだが、現在、ホームの上部は切り崩され、ホームの痕跡を留めるだけになってしまった。建物の壁際に、土を盛った長細い空間が、レール沿いに伸び、その下に埋もれているように、ホームの痕跡の細長いコンクリートが姿を見せる。
 昔は鐘紡の工場だった駅前は、今は住宅街となっている。だが、無料診療所を起源とする、鐘紡記念病院が駅跡の道路の向こうにあり、鐘紡前駅跡と共に、当時の名残のように存在している。

[2002年7月訪問](兵庫県神戸市)

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和田岬線2.7kmの旅〜大都会のローカル線
103系が鐘紡前駅跡を駆け抜ける

和田岬駅近くの工場に勤務する帰宅客を
乗せた103系が、廃駅跡には目もくれず
駆け抜ける。

Station Photographs-駅と駅舎の写真館- (C)solano.