![]() 湯里駅ホーム。 |
江津から山陰本線の上り列車に乗り湯里駅で降りた。谷の間の斜面に出来たような駅で、ホームは駅舎より高い所あり、言うならば、高架駅のホーム程度の高さだ。階段を降りると、空っぽの小さな池があった。昔は水が張られ、駅のオアシスのように乗降客を和ませるものだったのだろうが、無人駅となり、干上がってしまった今、残っていても虚しさを募らせるだけだ。 |
![]() 湯里駅待合室。見事なまでに原形を保ちノスタルジック。 ![]() 窓口も手を加えられていない。無人駅となり、駅務室内 は今はがらんとしている。 |
木製の改札口を通り待合室に入った瞬間、木で彩られた空間に、まるで何十年も時を遡ったかのような懐かい感覚に陥った。改札口、出札口、小荷物用の窓口ベンチ、窓枠など、多くのものが木製だ。新しさを感じさせるものは無く、各部分が長い年月使い込まれた独特の渋味を放つ。 特に原形を保っている窓口の造形が見事で美しい。木造駅舎は改修されながらも、現代でも意外と数多く残っている。だが、無人化された駅では、待合室は多かれ少なかれ改修される場合が多く、特に不要となった窓口部分は塞がれたり、跡形も無く改修される場合も多い。でも、湯里駅の窓口は無人化されながらも、よく存えたものだ。 湯里駅に来たのは初めてで、正直、窓口や待合室が原形を保っているという確証は無い。でも、素朴な造りと、使い込まれた木の各部分は、昔の駅はこうだったんだなと感じさせるに十分な雰囲気を漂わせている。 そんな木の空間の隅っこ・・・、小荷物用窓口のカウンターの上に、熊のぬいぐるみがちょこんと座っている。寂しい無人駅にこんなものが置いてあればちょっとした癒しになりそうだが、元の白色はすっかり薄汚れ、捨て熊≠フような悲哀を漂わせている。かなり長い間、ここに置かれているのだろう。持ち主は何を思って、この駅に置いたのだろうか…、そして、遠き日に、この駅に置いた熊のぬいぐるみの事を思い出す事があるのだろうか…?そして、この熊はこの駅にただ独りで、何を待っているのか、何を思っているのか…、ふとそんな事を考えてしまった。 |
![]() 古き山陰地方デスティネーションキャンペーンのステッカー。 下に書かれた文字をよく見ると…。 ![]() |
小荷物取り扱い窓口のガラス窓に、青いステッカーが張ってあった。よく見ると「レインボー山陰」と大きく書かれている。今でいう山陰方面の「デスティネーションキャンペーン」のキャッチフレーズで、虹と陸地と海をかたどった図柄に、「海、山、湖、温泉、味覚、神話、民謡、<7つの魅力>」と添えられていた。その下に付け足されたような部分には「新幹線岡山開業」、その隣には「ひかりは西へ」と書かれていた。何と、山陽新幹線、新大阪−岡山間開業が1972年(昭和47)年3月15日だから、今から30年以上も前のものである。新幹線は北は八戸、南は鹿児島まで路線網を伸ばし、更なる拡充計画が進んでいるのに、こんなものが未だに残っているとは…。どうやら、この駅は今の時代から私を引き離そうとしているようだ…。 |
![]() 湯里駅駅舎前景。 |
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![]() 車寄せ付近。 ![]() 駅舎左側面。 |
今度は外に出て、駅舎の外観を見てみる。ありふれた控え目なデザインだが、素朴で味わいのある木造だ。だが、小さな車寄せの上部の軒下辺りが、板で囲まれているのが多少気になる。見た事が無いタイプだが、雨よけなのだろう。あと、側面の通風孔が丸型なのが、この木造駅舎には意外と似合っている。 駅の周囲は木々で囲まれているが、駅舎を出て直ぐ目の前にある桜の古木が印象的だ。「駅を出たら桜が出迎えてくれた…」、そんな春の光景を思い、心躍らされた。 あれこれ見ている内に、30分という時間はあっという間に過ぎ、列車が到着する時刻が近付いてきた。時刻が迫る度、この駅から離れるのが惜しくなる。一本列車を遅らそうか…、だけど、次の列車は1時間以上も後で、そんなに待つのも…、と迷い続けた。しかし、遂に木製の改札口を通り、ホームに上がる事は出来なかった。乗る予定だった列車を見送ろうと、外に出てホームを見上げると、国鉄色のオレンジ色の気動車がゆっくりと入線してきた。古き姿を留めた小さな木造駅舎には、国鉄色の気動車がよく似合う。 |
![]() 湯里駅近くの集落。 |
次の列車は1時間以上も後だ。手持ち無沙汰にホームをうろついていると、国道の反対側に集落が見えた。この地方の建物らしく、学校の屋根に敷き詰められた石州瓦のオレンジ色が一際目立つ。距離は遠く無さそうなので集落に行って見る事にした。 駅から斜めに延びる道を歩くと、直ぐに国道で、車に気をつけ渡り数分歩くともう集落だ。静かで落ちついた雰囲気で、民家が多いが、郵便局、農協の古い建物、数軒の商店もある。集落の真中を貫く道路の道幅は狭く、車の往来も非常に少ない。 湯里≠ニいうと、情緒豊かな温泉地を思い浮かべてしまうが、至近に温泉は無い。湯里駅のある温泉津(ゆのつ)町は温泉津温泉で有名だが、湯里駅は温泉街からは約3km離れているし、最寄駅も隣の温泉津駅の方だ。 |
![]() 貨物か保線用と思われるホームと側線の跡。 |
駅に戻ってきて、再び待合室の木の空間を堪能する。う〜ん、やはり心地よい!! 窓口は全く塞がれていなく、駅事務室がとてもよく見える。無人駅のかつての駅事務室は、倉庫替わりに物が雑然と置かれていたり、有人時代の名残でデスク、棚やその他備品が放置されている場合が多いが、湯里駅の場合は、物は撤去されがらんとしている。事務室内のを見回していると、湯里駅の手書きの時刻表が掲示されたままだった。いつのものかと年月を見てみると、「52年3月15日改正」と隅に書いてあった。 列車が近付いているので、今度こそ惜しみつつ、待合室を出てホームへの階段を上がった。またいつか来ようと心に決めつつ…。ホームのあたりをうろうろしていると、斜面を削って狭い地に造った駅だが、草に埋もれた貨物か保線用のホームの跡や側線跡もあった。今の駅の構造から、昔から旅客用ホームは明らかに1面1線だという事は察しがつくが、それ以外にも、小さいながらもホームや側線までかつてはあったのだ。 [2004年7月訪問] (島根県邇摩郡温泉津町。※訪問時。 現在は大田市) |
エピローグ 湯里駅にすっかり魅了され、いつか再訪しようと心に決めていた。今度は雪が降り積もる1〜2月にしようと思っていた。時が止まった待合室で、雪景色を見ながら、背中を丸め缶コーヒーをすするのも、また違った趣があるだろう。 だが、検索サイトで何気に湯里駅の事を検索していた時、駅舎が取り壊された事を偶然に知って呆然とした。形ある物なんて、いつか滅びる。重要文化財でもない、古くてありふれた木造駅舎なら、尚更、取り壊しの危機に瀕しているものだろう。だが、まさかこんなにも早く取り壊されてしまうなんて…。 あの趣き深い駅舎はもう無いのに、いつか湯里駅に行くのだろう。何のために行く…、と言われても、自分自身はっきりとわからない。自分の目で確かめたいから…、喪失感を味わうため…、どう変ったのか興味がある…、たぶんそれらの理由全てなのだろう。その時は、駅の目の前に根を張っている、あの桜の古木を見ながら、湯里駅の木造駅舎を偲ぼう。 |
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| Station Photographs‐駅と駅舎の写真館‐ (C)solano. |