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採銅所駅(JR九州・日田彦山線、洋風木造駅舎)


日田彦山線、採銅所駅ホーム

 日田から日田彦山線の列車に乗り、田川後藤寺駅辺りまで来ると、山から徐々に街の風景へとなっていき、人口100万を擁する北九州市が近付いているのだなと実感するが、採銅所駅に到着するとまた山中の集落の風景へと変わる。駅名は文字通り、昔、この地区で銅が採れた事に由来し、1200年前には宇佐神宮に奉納する神鏡を鋳造したという伝説が残っている。
 駅は交換可能だが、駅舎から離れた島式ホームは、かつて2番線だったであろう真ん中の番線のレールが外されていて、今では2面2線となっている。
 
木製改札口跡

 木造駅舎が残っているが、現在では無人駅となっている。ホーム側の軒下には出口用の木製改札口と思われるものの残骸が残っていた。
 
採銅所駅

 採銅所駅駅舎前景。小倉鉄道時代の1915(大正4)年、駅開業時以来の駅舎。何と築90年を越えるのだ!下見板貼りの木造駅舎で、縦長の窓や右手の屋根部分の造りなど洋風の造りを十二分に残している。
 
ペディメントや窓周りの装飾

 採銅所駅駅舎のもっとも特徴的な部分がこのペディメント(切妻屋根の三角部分)。洋風の装飾が施されている。石原町駅にも同じような装飾があったらしいが、今では塞がれてしまっている。
 その下の窓周りの装飾も見逃せないものがある。窓は塞がれているが、かつては木枠の窓があったのだろう。窓があった頃はどんな雰囲気を作り上げていたのだろうと想像が膨らむ。この窓の限らず、採銅所駅の窓の殆どの部分は板で塞がれていた。
 
木製の駅名看板

 大木から切り出した木版を使った駅名看板が味わい深い。駅名が毛筆の直筆だ。駅名看板の左斜め下には「大正 4.3」と標された建物財産標が掲げられている。
 
造り付けの木製ベンチ

 造り付けの木製ベンチが駅舎正面とホーム側にあるが、派手な色に塗られ、やや浮いた印象。
 
駅前ロータリーの枯れ池

 駅を出ると円形のロータリーの中に庭園のような空間がある。集落の狭い駅前の割には、直径4〜5mはあろかという大きなものだ。
 採銅所駅には5年前に訪れていて、その時、駅前に池があったのは何となく覚えている。そして、池の側に、奈良時代の8世紀初頭に発行された貨幣「和同開珎」はこの地区で採れた銅で鋳造されたという内容の説明看板があったのもおぼろげに覚えている。この庭園が池の跡なのかと思ったが、記憶の中の池はもっと小さく、現在の駅周囲にはそのような池は見当たらないし、かと言って池跡っぽいものはこれしかない…。過去の記憶と現状が一致しなかった。
 駅に来た地元の人に聞いてみると、「うん。埋められちゃったよ。無人駅で管理する人は居ないし、子供が落ちたら大変だからねぇ。」と・・・。やはりこの庭園の跡はかつて池だったのだ。もう一度よく見てみると、円の中心に組まれた岩の影に、注水口が鋳潰されたまま残っていた。
 
貨物用ホーム跡

 城野方には貨物用と思われる業務用ホーム跡が残っている。レールは赤茶色に錆びきっているので、もう車両が入ってくる事は無いのだろう。だがホームは駐車場になっている。ここの他、駅舎左手、彦山方も駐車場になっていた。山中の小さな駅だが、駐車場としての需要はそれなりにあるようだ。
 
空地の井戸跡と手押しポンプ

 駅舎左手の駐車場の奥は桜の木が並ぶ空地となっている。その中にポツンと古井戸跡があり、錆びた手押しポンプが緑に絡まれながら残っていた。かつては駅員宿舎や駅関連施設があり、駅で働いていた人にとって、この井戸は大切な水源だったのだろう。
 
窓口跡と自動券売機

 窓口の跡は塞がれ、券売機やベンチが置かれている。
 
天井の照明台座

 待合室の天井には古い照明の台座が残されている。天井の板の張り方も凝っていて、台座を中心にして、四角い待合室の空間に対し菱型に組まれているのがどこか独特の雰囲気を作り上げている。
 
駅舎ホーム側

 駅舎ホーム側。駅の周辺は山間のひっそりとした集落で、駅の利用者もまばらだった。少し歩けば国道沿いに住宅など建物が集まっているのが望める。駅は国道から離れた高台のような場所にあり、車社会が進んだ中、わざわざ駅まで歩いてきて列車を利用する人は少ないのだろう。街が近くにありながら、この駅は街とは別の世界にあるかのようだった。


[2008年11月訪問](福岡県田川郡香春町)

Station Photographs‐駅と駅舎の写真館‐ (C)solano.