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野田城駅(JR東海・飯田線、木造駅舎)


木造駅舎が健在の野田城駅

野田城駅。古い木造駅舎が現役。
 


駅舎からは随所に木の温かみを感じる。しかし、待合室の窓
は無く、扉や窓など板で修繕されている所も多い。長年の使用
ゆえの痛みも目に付く。まさに満身創痍の駅舎と言った感じ。
 
 4月に飯田線の本長篠方面の列車に乗り、野田城駅に停車した。上りホームに、何本もの桜の木が寄り添うように並び、満開でピンクの花をぎっしりと咲かせている。桜の園に停車したような気分で、その美しさに車内からは感嘆の声が漏れる。

 夕方になり、引き返す時、桜を間近で見たいと、野田城駅で途中下車した。よく見ると、それらの桜の木は、駅にあるのではなく、上りホームの背後に広がる横浜ゴム新城工場の敷地内に植えられていたのだ。だから角度を変えて見たいと思っても、敷地内に無断で入るわけにはいかないから不可能だ。でも、ホームに立つだけで、桜咲き乱れるこの駅の美しさを十分に堪能する事ができる。列車が来ない合間、ただ独りホームに立ち桜の花を愛でる。
 桜のある風景だけでなく、下りホーム側のローカル線らしい木造駅舎も風情があって興味を引く。地味な渋い茶色でインパクトは無く、古さは目立つが、そんな所もまた良い。待合室、ホーム側、正面など随所から木の温かみが伝わる素朴な雰囲気で、長い年月使い込まれてきた風格も漂わす。駅の玄関の上に、右から駅名が書かれた木の表示板が掲げられ、この駅よく似合っている。待合室の窓は、壊れてしまったのか、サッシ枠が残るだけで開放状態になっている。待合室では、数人のお年寄りが木のベンチに座り、のんびりと世間話に興じている。この時間でも、外に居るのが苦にならない季節になったものだ。
 そしてこの駅でもう1つ気になるものは、豊橋方面にある、廃タイヤでできた大きな怪獣だ。始めて車窓からその怪獣を見た時は、視線が一瞬くぎ付けになった。隣りの横浜ゴムの工場が子供達のために作って、地元に寄付したのだろうか。間近で見たかったが、今回はもう時間が無いのでパスした。
 ジュースを飲みながら、こじんまりとした駅前をブラブラしていると、駅舎左側の待合室裏に「あなたはここが自転車置場でない事を知っていますか」という注意書きの看板があり思わずギョっとする。「自転車をここに置かないで下さい」という事なのだが、ストレートに言われるより、イヤミが効き強烈で、私ならそこに自転車を置く事をためらってしまう。そう言う書き方をしてるのは、迷惑な駐輪が多く苦慮していたのだろう。その看板のお陰か、自転車のほとんどは駅舎向って右手の正しい置場に置かれている。しかし、数台の自転車がふてぶてしくも、その看板の前に置かれていた。
 上り列車に乗り、野田城駅を離れた。しかし、待合室で話し込んでいたお年寄りの方々は、先程来た下り列車に乗るでもなく、この列車に乗るでもなく、待合室で座ったままだった。飯田線はそんなに頻繁に列車がある訳でないので、乗らなくてもいいのかと不思議に思った。でも、彼らは駅の近所の住人で、この無人駅をサロン代わりに使っているのかもしれない。こんな形でも、駅は人々が集まる場所として利用されているのを見ると微笑ましい気持になる。

[2002年4月訪問]
 


上りホームの桜並木が夕日に彩られる。
 
強烈な!?注意書き。

強烈なメッセージ。

 桜と木造駅舎に誘われで下車したが、野田城と言うからには、近くに城跡でもあるのだろうと思い、帰ってから調べると、やはりあった。野田城は1508年(永正5)年築の菅沼氏の居城で、武田信玄と一戦があった事で有名との事だ。武田軍は三方ヶ原の戦いで家康を敗走させた翌年の天正元年(1573)、家康配下の菅沼氏が守る野田城に攻め入った。しかし、守りは堅く篭城戦となり、武田方はなかなか、城を攻略できなかった。そこで信玄は、甲斐から金山堀り人足を呼び寄せると、穴を掘らせ、城の井戸水を抜いて空にし、遂に菅沼方を降伏させた。これが信玄最後の戦いとなり、同年の4月に信濃国(長野県)の駒場で病死した。一説には、野田城攻めの最中、鉄砲で撃たれたのが原因とも言われるが、この説は信憑性が薄いらしい。

 5ヵ月後の9月、野田城址とタイヤの怪獣を見ようと、残暑厳しい中、野田城駅に降り立った。風情のある木造駅舎が変わらず迎えてくれたが、駅の汲み取りトイレの匂いが鼻を突く。この暑さのせいで臭い易いのだろう。正面から約5ヶ月振りに駅舎を眺める。前回そのままの駅舎のはずなのに、何か違う。しかし、その原因が、駅玄関横に掲げられたJR東海のCIの駅名表示板だと気付くのに時間は掛からなかった。5ヶ月前に見た木の駅名表示板はどうしたのだろうか?折角、雰囲気作りに一役買っていたのに少々残念だ。
 
飯田線を狙うゴムラ

飯田線の列車を狙う?怪獣ゴムラ。
 まずはタイヤの怪獣とご対面だ。豊橋方のホーム端の近くに踏切があり、その横の小さな公園が怪獣の棲家だ。入口の案内板を見ると、ここは横浜ゴムの敷地との事で、開放時間も決められている。そして、公園内には巨大な廃タイヤの塊、あの怪獣がでーんと構えている。何メートルもの巨大な怪獣は間近で見るとかなり迫力があり、まるで木陰から飯田線の列車に掴み掛ろうとするかのように両手を上げている。怪獣の足元には説明板があった。それによると、この怪獣の名前は“ゴムラ”と言い、(数を忘れたが)かなりの数の廃タイヤで出来ているとの書かれている。ゴムラの他にも、公園の奥にステゴザウルスのようなタイヤの怪獣が居て、やはり大量の廃タイヤが使われているとの事だ。この公園を含め、横浜ゴム新城工場の、地元住民へのサービスなのだろうが、これだけのものを、よく2つも作ったものだ。

 今度は野田城址に向って歩いた。地図によると、野田城駅から国道に沿いに数キロの場所だ。駅付近は閑散としているが、新城市街に比較的近いため、2車線の国道は交通量が多く、沿道には店や住宅が並ぶ。意外と開けた所だったのだ。
 汗だくになりながら30分位歩き続けると野田城址の看板が見え、矢印に従い歩くと、雑木林の中に、野田城を説明した看板があった。ここがそうらしいが、完全に雑木林と化し、昔、城があったとは想像し辛い。説明書きによると、三の丸、二の丸、本丸と続く連鎖式の山城で、川を堰き止めて堀を形成していたと言う。見取り図では、堀の間に、団子のような地形が標されている。
 辛うじてある道を頼りに、鬱蒼とした城址に足を踏み入れた。途中で城があった事を示す石碑があり、更に歩くと、もう外に出てしまった。大きな城ではなかったようだが、それでも武田軍の攻撃にかなり持ちこたえたのだから、菅沼氏の抵抗振りが窺える。城址は飯田線に近く、すぐそこで、列車が駆け抜ける音が聞こえた。

[2002年9月訪問](愛知県新城市)
野田城址

野田城址。駅から徒歩約30分。

Station Photographs-駅と駅舎の写真館- (C)solano.