芦野公園駅 (津軽鉄道)~桜の名所で喫茶店として余生を過ごす木造駅舎~



太宰の作品に登場する駅

 登校する学生で賑わう津軽鉄道の列車に揺られ、朝の8時、芦野公園駅で下車した。

津軽鉄道・芦野公園駅に入線した列車

 駅は木々で囲まれ森の中のような雰囲気だ。駅名の通り、同駅が最寄となる芦野公園は、青森県有数の桜の名所として知られている。それだけでなく、プラットホームや線路沿いなど、駅周囲にも桜の木が何本も植えられ、列車を狙ったカメラマンで賑わうという。春は芦野公園だけでなく、この駅自体も桜の名所と言えるような華やかな風景になるのだろう。

芦野公園駅旧駅舎

 芦野公園駅は、現在ではコンクリート駅舎の方が正式な駅本屋だ。しかしその隣り、津軽中里寄りのホーム隅の方に、かつて使われていた木造駅舎も残されている。こうしてプラットホームの脇にしっかり建っている姿は、現役駅舎の雰囲気をなおも醸し出しているかのように映る。

津軽鉄道・芦野公園駅、木造の旧駅舎は「喫茶・駅舎」として再利用

 旧駅舎は現在では喫茶店「駅舎」として活用されている。ホームとは階段で繋がれ、裏口からも入店する事ができるようだ。

 芦野公園駅は青森県金木町出身の小説家・太宰治の「津軽」にも登場した事で知られている。旧駅舎脇に設置された看板に、その一節が標されていた。
~「金木の町長が東京からの帰りに上野で蘆野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言われ憤然として、津軽鉄道の蘆野公園を知らんかと言い駅員に三十分も調べさせ、とうとう蘆野公園の切符をせしめたという昔の逸話を思い出し…」~

地元の人々の手で残された木造駅舎

津軽鉄道・芦野公園駅、開業の昭和5年以来の木造駅舎が残る

 旧駅舎の正面に回ってみた。この駅舎は開業の1930年(昭和5年)から、1975年(昭和50年)まで使われていた。1987年(昭和62年)年からは喫茶店(初代)として使われたが、2006年(平成17年)3月に閉店してしまったという。

 2005年、芦野公園のある金木町は五所川原市と合併した。

 旧駅舎は老朽化したまま空家となっていたが、地元のNPO「かなぎ元気倶楽部」が「太宰が眺めたであろうこの駅舎を…、金木町の文化を残したい」という思いから、喫茶店として復活させたという。当時の窓口を残したり、津軽鉄道で使われたと思われる古い電話機が置かれるなどレトロな内装で、外壁は白く塗り直され、新築と見紛うばかりにピカピカだ。驚くべき事に、修繕のほどんどがNPO職員の方々の手でなされたという。彼らの駅への…、我が町への愛情が伝わってくる。駅舎は文化と人々の想いが詰まった文化財なのだと再認識させられた。

津軽鉄道、マンサード屋根が特徴的な芦野公園駅、木造の旧駅舎

 ファサードにマンサード屋根を備えた洋風の造りで、押縁下見の外壁もレトロで印象的だ。出入口真横のガラス窓に「手小荷物取扱所、手荷物一時預所」と書かれている。こちらも当時の部材を使い回しているようだ。

 嘉瀬駅や津軽飯詰駅と言った他の津軽鉄道の木造駅舎は、際立った造形は特に無い素朴な造りで、どちらかというと標準的なタイプだ。それらに較べれば、この芦野公園駅の旧駅舎は洒落た感じのするデザインだ。桜の名所、芦野公園の最寄駅として、行楽客を意識してこの造りにしたのだろうか…?

津軽鉄道・芦野公園駅、森の中に佇むかのような木造駅舎

 桜など背の高い木々の囲まれた静閑な環境の中、現役引退後、悠々自適に過ごしていると言った雰囲気がぴったりな風情。

 今回は他の行程を優先したため、喫茶店「駅舎」が閉まっている日時に訪問したが、中途半端な事をしてしまったと後で後悔を感じた。喫茶店では、弘前市の老舗喫茶店「万茶ン」のオリジナルコーヒーを出しているなど、駅舎だけでなくメニューにもこだわりを持っている事が伺え興味深い。レトロな内装も楽しみたい。今度は是非とも「駅舎」が空いている時間に来てみたいものだ。

[2007年(平成19年) 9月訪問](青森県五所川原市)

~ レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の保存・残存・復元駅舎 ~

追記: 再訪、喫茶「駅舎へ」etc

 2012年2月、芦野公園駅の旧駅舎を再訪し、喫茶店「駅舎」を利用しランチをいただいた。その時の訪問記と内部の様子、そして気になったあるモノは下記の訪問記へどうぞ。
芦野公園駅旧駅舎・喫茶店「駅舎」~昭和のアレみたいな窓口跡~


 2014年12月、この芦野公園駅の旧駅舎は国の登録有形文化財となった。

芦野公園駅、喫茶「駅舎」、金木地区名産の馬肉を使ったカレー
喫茶・駅舎の看板メニューの馬肉カレー(2012年2月)